Chapter 15
第15話
父の死、妻との絆
3か月後の6月に福岡でのサイン&ディスプレイに出展しました。
6月6日に設営で、7、8日が展示会でしたが、出発前日の5日早朝4時に母から、父が息を引き取りそうと電話がありました。
慌てて病院に向かいましたが、意識はないものの医師の懸命の心臓マッサージのおかげで心臓は動いてました。
その後、病院の勧めで、違う病院に移り治療しましたが、意識を戻さないまま、5日20時に脳梗塞で息を引き取りました。
会社の命運は、展示会にかかっていると思っていましたので、母とも話しあった結果、葬儀を展示会終了後の9日に延ばしてもらいました。葬儀延期をかなり悩みましたが、父なら私の判断を理解してくれると思い、妻と展示会に向かいました。
展示会最中も気を抜くと涙が溢れてきました。
父は、真面目で欲がなく、息子の私にもあまり関心を持たない人でしたが、地元のお祭りと魚釣りが大好きで、思春期にはそんな父を不満に思ったこともありました。
私が家庭を持つようになってからは、何があっても一切怒ることのない父を素晴らしく感じるようになりました。
自分が父の死でこんなにも涙が出るのに驚きましたし、今この文書を書いている間も泣いています。
福岡での展示会は、近県ということもあるのか反響がすごく、皆様との会話や、お褒めの言葉が、遠回りしてきた7年間の苦労を一瞬で癒してくれました。
今まで、妻や娘にいくら私の口から素晴らしい商品なんだと説明しても、ハイハイと流されてきましたが、お客様の生の声を聞いた妻が展示会終了後、涙を流して喜んでくれました。
その後、父の葬儀も無事に終わり、改めて思うのが、展示会当日ではなく、前日に息を引き取る事が、父が私に対する愛情表現なのかなと感じました。
6月6日に設営で、7、8日が展示会でしたが、出発前日の5日早朝4時に母から、父が息を引き取りそうと電話がありました。
慌てて病院に向かいましたが、意識はないものの医師の懸命の心臓マッサージのおかげで心臓は動いてました。
その後、病院の勧めで、違う病院に移り治療しましたが、意識を戻さないまま、5日20時に脳梗塞で息を引き取りました。
会社の命運は、展示会にかかっていると思っていましたので、母とも話しあった結果、葬儀を展示会終了後の9日に延ばしてもらいました。葬儀延期をかなり悩みましたが、父なら私の判断を理解してくれると思い、妻と展示会に向かいました。
展示会最中も気を抜くと涙が溢れてきました。
父は、真面目で欲がなく、息子の私にもあまり関心を持たない人でしたが、地元のお祭りと魚釣りが大好きで、思春期にはそんな父を不満に思ったこともありました。
私が家庭を持つようになってからは、何があっても一切怒ることのない父を素晴らしく感じるようになりました。
自分が父の死でこんなにも涙が出るのに驚きましたし、今この文書を書いている間も泣いています。
福岡での展示会は、近県ということもあるのか反響がすごく、皆様との会話や、お褒めの言葉が、遠回りしてきた7年間の苦労を一瞬で癒してくれました。
今まで、妻や娘にいくら私の口から素晴らしい商品なんだと説明しても、ハイハイと流されてきましたが、お客様の生の声を聞いた妻が展示会終了後、涙を流して喜んでくれました。
その後、父の葬儀も無事に終わり、改めて思うのが、展示会当日ではなく、前日に息を引き取る事が、父が私に対する愛情表現なのかなと感じました。