Chapter 4
第4話
19才から独立を意識し、25才で独立
小心者の私が独立するという不安から救ってくれるには、人の何倍も経験を積むしかないと思い、当時私が一番忙しいと思う会社に勤めました。
そのネオン屋の忙しさは尋常でなく、当時は、パチンコ屋の新店、消費者金融の勢い、その他フランチャイズの出店など巨大看板の受注が多く、夜間工事+残業続きの毎日でした。
ですが、機械、工具、段取りの重要性を学び、初めて師匠と呼べる方にも出会いました。
その方は、この業界には珍しく理系の大学を出てる頭の切れる方でした。
製作から完成までの段取りや数字が頭に入っていて、少しでも、もたもたすると怒鳴られるので、必死に次の動きを考え動くという緊張感に包まれた毎日を過ごしていました。
おかげで短期間で技術を習得できましたが、あまりにも怒鳴られた後遺症として、人の目を見て話すことができなくなりました。
今でも、意識しないと目をそらす癖が治りませんが、厳しく育ててくれて感謝しています。
2年務めた頃には師匠にも怒らる回数も減ってきたので、若さという勢いのみで、平成8年8月、25才で独立しました。
こみ上げてくる恐怖を救ってもらうために、独立する事を何人もの人に相談しましたが誰一人背中を押してくれる人はいませんでした。
当時、野茂がメジャーに挑戦した年で、誰からも無謀と言われているのを、自分と重ねあわせ、勇気をもらったのを覚えています。
その後、師匠も独立され、今も仕事の付き合いがありますが、未だに会うと緊張します。
そのネオン屋の忙しさは尋常でなく、当時は、パチンコ屋の新店、消費者金融の勢い、その他フランチャイズの出店など巨大看板の受注が多く、夜間工事+残業続きの毎日でした。
ですが、機械、工具、段取りの重要性を学び、初めて師匠と呼べる方にも出会いました。
その方は、この業界には珍しく理系の大学を出てる頭の切れる方でした。
製作から完成までの段取りや数字が頭に入っていて、少しでも、もたもたすると怒鳴られるので、必死に次の動きを考え動くという緊張感に包まれた毎日を過ごしていました。
おかげで短期間で技術を習得できましたが、あまりにも怒鳴られた後遺症として、人の目を見て話すことができなくなりました。
今でも、意識しないと目をそらす癖が治りませんが、厳しく育ててくれて感謝しています。
2年務めた頃には師匠にも怒らる回数も減ってきたので、若さという勢いのみで、平成8年8月、25才で独立しました。
こみ上げてくる恐怖を救ってもらうために、独立する事を何人もの人に相談しましたが誰一人背中を押してくれる人はいませんでした。
当時、野茂がメジャーに挑戦した年で、誰からも無謀と言われているのを、自分と重ねあわせ、勇気をもらったのを覚えています。
その後、師匠も独立され、今も仕事の付き合いがありますが、未だに会うと緊張します。